B-2.東大寺八幡経巻第七十五




巻頭部分


6紙付近


10紙付近


14紙後半から15紙前半の最も虫穴の多い部分


16紙から巻末


巻末の奥書
安貞元年二二月十五日(二二は四の別表記で中世独特の表記)


奥書の喜捨名の拡大
重源上人の一派と思しき阿弥号をもつ尼僧や藤原氏の名があります。喜捨名には花押も見えます。
僧俗、貴賤を問わず喜捨したことを示しています。


左:関東付近の東大寺八幡宮の黒印(巻頭部分のみ裏打紙に窓を開けてあります)
中:鍍金撥形の軸端
右:新旧の二重箱

価格 お問い合わせ願います。 
※お名前やご連絡先のない方のお問い合わせには応じかねます。 

サイズ 縦263o、長さ8600o、一紙27〜28行、17紙繋ぎ

東大寺八幡宮伝来、鎌倉時代 安貞元年(1227)

『東大寺八幡経』は鎌倉期に再建された大仏伽藍の安穏のため尼成阿が発願し、多くの僧俗の喜捨を得て東大寺八幡宮(現手向山八幡宮)に奉納された経で、美しく装飾された装丁と良質の料紙の鎌倉時代を代表する大般若経として知られます。
同経は明治初年の神仏分離により外部に放出され、一時期西大寺に所蔵されるなど紆余曲折を経て、現在は博物館・美術館をはじめ諸家で分蔵されるに至っています。

今回ご案内の品は、17紙繋ぎ、金砂子で装飾された表紙、金銀切箔の見返し、鍍金の撥形軸、16文字の梵字の書付のある軸棒、さらには組紐に至るまで、すべてが当初の姿を残しています。
巻末に記された年号、喜捨した人物名のある個体で、喜捨名の中には藤原氏や重源上人一派とみられる阿弥号の尼僧の名も見られます。
また、同経は大般若経六百巻を書き手が分担した事が判っており、巻第十一から巻第百までが東大寺の僧 盛眞が書写したといわれます。
盛眞の勢いを感じさせる文字は前時代の和様の文字と異なり、新時代の到来を感じさせます。
尚、ご案内の経は、繋ぎ目を大正新修大蔵経でチェックし、脱落、錯巻が皆無であることは確認済です。

保存状態は1紙から5紙に虫食いがあり、6紙から14紙までは殆ど傷みがなく、15紙から巻末にかけて虫食いがあります。
修理歴は享保二年(1717)の裏打ちがあります。従いまして現在の虫穴は享保二以降のものです。

同経は、明治初年の神仏分離を契機として流転の運命をたどったこともあり、コンディション良好な品は必ずしも多くありません。
そのような中でご案内の品は、当初の姿をよく残した極上の品と言えます。

由緒伝来は言うに及ばず、書体の風格、美しく装飾された装幀、よく打たれた料紙、鍍金の軸端など、いずれも第一級クオリティーをもった写経です。

田中塊堂編『日本古写経現存目録』所載品