C-1.興福寺千体仏 売約済

奈良 興福寺に伝わった千体観音像で、一般に「興福寺千体仏」と呼ばれる小型の観音像です。

平安時代後期より広まった千体仏造仏の背景には末法思想や多数作善の思想があったと言われます。興福寺千体仏もそのような思想的背景があったことは疑いようがありませんが、詳しい造仏の経緯は判っておらず、一説に興福寺を氏寺とする藤原氏が奉納したとする説もあります。

これら興福寺の千体仏は明治初年の神仏分離による興福寺の衰退に伴い民間に流出したことが知られ、時の富裕な数寄者らの手を経て美術館、博物館にて収蔵、また諸家で分蔵されて現在に至っています。

 

ご案内を前に申し上げますが、興福寺千体仏に完全なオリジナルを保った像は存在しません。
伝来途中で金箔が押すなどの修理、改装が施され、また後年は荒廃した堂で倒れたままの状態で長く時を過ごした像も多くあったと言われます。

従いまして殆どの品が腕、持物、台座が後補された状態で今に伝わっています。

尚、大きさはほぼ一定(本体が350o〜400o程度)であるものの、作風は様々で秀逸な作から平凡な作までが存在ます。

ご案内の像は柔和な丸顔に低い髻を持ち、頭上に天冠台を頂いた姿で作られています。
更に細身で腰高のプロポーションは、一般に想起する「平安仏」のイメージに合致するところが多いことと思います。











右上腕部の黒くなった箇所の先が後補です





台座は明治期の流出前の後補の可能性もあります。
収納箱は杉材の簡素なものです。


後補の箇所は右上腕部から先、左腕の臂から先、両足先、台座、持物の蓮華で、いずれも別木で接いであった部分です。

修理箇所は鼻が修理してあるようにみえます。また、前面の下方には虫食いがあり、修理時に整えた痕跡があります。
魚鱗葺き彫蓮華の台座は後補のものですが、花弁形の框を持った柔らかな印象のもので、観音像と調和がとれています。
(台座は藤田美術館蔵の像と類似した様式をもち、おそらくは美術院で作られたものと思われます。)


多くの興福寺千体仏がそうであるように修理の手の入った品です。
しかし、頭部のすげ替え、別個体の合成などの改悪と呼べるような修理、改装はありません。

興福寺千体仏を蒐集に加えるポイントとしまして、オリジナルティー重視、優美な面相、価格等々、どこにプライオリティを置くかになるとか思います。

ご案内の品は美術館、博物館収蔵品に及ばないものの、優美な立ち姿は和様文化華やかななりし往時を想わせるに十分です。
価格、詳しいコンディションに関してはお気軽にお問合せ願います。

サイズ 本体高さ360o、台座を含む高さ432o