C-7.キリカネ地蔵 売約済
画像は子細に見て頂くため拡大画像を掲載しましたが、実際は僅か80oの像です。
手仕事の限界を感じさせる細密で繊細な截金が施されています。
背面の見えない部分にも截金が施され、衣の襞や袈裟の結び目も省略なく彫られています。
背面は光背が固定されていた痕跡を残します。
斜格子、麻の葉文、雷文、霰など超絶技巧の截金が施入されています。
左のスケールと比べると、如何に細密かつ繊細にな截金が施されていることがお解り頂けることと思います。
左目から左眉の周辺が錫杖で擦れてしまったのでしょうか?傷みが生じています。
但し、極小像で黒く煤けていますので、肉眼では気にならないレベルです。
胸元の飾りに僅かに朱が入っています。こちらだけ金泥と顔料で描かれているようです。
右:善童子 左:掌悪童子 いずれも50o(台座共)の極小仏画です。
金箔の押された湾曲した面に描かれたとは思えない繊細な作行です。
サイズ
高さ (台座共)113o、像高 80oo
厨子扉丈 133o、厨子高さ 145o
扉絵童子 およそ51o(台座を含む)
木彫、截金、扉絵、桃山時代
像高80oの極小像に細密な截金を施した驚異的な0作の地蔵菩薩立像です。
吊り金具をもつ厨子に納めらた品で、扉には地蔵三尊の脇侍である掌善童子・掌悪童子の描かれています。
地蔵菩薩本体は檀像風の木目のない褐色の材を用いて作られ、極小像にも関わらず身体バランスがよく、衣の翻りや襞など細部も巧みに表現されておりいます。
扉絵の掌善童子・掌悪童子は衣の文様まで細密に描かれています。この二童子は地蔵菩薩の脇侍として知られますが、実際の作例は極めて少ないようです。
截金の技法は平安〜鎌倉時代に全盛を迎え、室町時代以降は金泥技法に取って代わられ衰退したと言われますが、その後も現代に至るまでその命脈は保たれています。
保存状態は地蔵菩薩の左目と眉付近に傷みがあります。但し、黒く煤けていることも手伝い、肉眼では至近距離でライトを当てて見ない限り気にならないレベルです。他に宝珠を持っていたと思われる左手先を欠き、葺き蓮華の蓮弁の数枚が先端をわずかに欠いています。
厨子は燻煙の汚れで塗のツヤを失っていますが、破損、扉の開閉の不具合、塗の浮きや剥がれはありません。
傷みはやや残念ではありますが、極小で繊細な作りの品であることを考えれば、むしろよい状態で残ったと考えたいところです。
尚、地蔵菩薩と掌善・掌悪の二童子の三尊形式は日本撰述の偽経(ぎきょう)「延命地蔵菩薩経」を典拠としたとする説があります。
この経を典拠とした三尊形式の延命地蔵(主に半跏像)は鎌倉時代から作例があるようです。
ご案内の品は縦長の頭部の形状やなどから南都の中世地蔵信仰の品々に通じる印象を受けますが、岩座や厨子の様式などから近世のごく初頭の桃山時代の作と推定します。
これほどまでの小像に細密な截金を施した品を今までに見た記憶がありません。
また、截金のみならず本体の精巧な作り、細密に描かれた扉絵も評価に値しするもので、仏師、截金師、絵師が手仕事の限界に挑んだかのような品です。
「キリカネ地蔵」は截金の見事さから当店で名付けたものです。格好よく言えば「二童子扉絵地蔵菩薩立像」となりますでしょうか?