酩酊日乗

かつて現実と虚構は相反するものと思っていた



聞き書き 林嶽寺文書


これはある酒場で出会った自称郷土史家が語った話の聞き書きである。よって真説であるか法螺話であるかは読者の判断に委ねることとなる。

木曽山脈に降った天水は深い田切をつくって天竜川に注いでいる。田切にはいく筋かの滝が流れ落ち、かつては修験者の行場となっていた。
その一つ妙見滝の近くに「字行者塚」という地名がある。しかし、現在周辺に行者塚らしきものはどこにも見当たらない。

妙見滝の近くのやや開けた場所に地元教育委員会の立てた消えかけた立札と小さな五輪塔が置かれている。
「江戸時代後期の天保年間、上之坊と名乗る修験者がこの地で草庵を結んだ。上之坊は衆生済度の誓願を立て自ら土中に埋まりここに捨身入定した。入定塚はのちの洪水で流され今はないが「行者塚」の地名を残すに至った。平成十二年九月〇〇町教育委員会」

この地の言い伝えによれば、上之坊は擦れた墨染の衣に錫杖姿でどこからともなくやって来て卜占や加持祈祷で信奉者を集めていたらしい。
ところが近年になり、近くの林嶽寺で奇妙な文書が見つかった。文書は虫害により判読不明な個所もあるが、読み下すと大意は概ね次の通りとなる。

「干ばつによる飢饉の宣託を下し、爾来行方知れずの妙見滝の行者某が天保三壬辰閏十一月、三里離れた市中で卜占で人心を惑わせ、役人が妙見滝の行場へ戻し、滝で請雨の法を行い、のち縛り滝に沈め、傍らに亡骸を埋め塚を築き、土中入定と伝え秘匿した。翌天保四癸巳九月、霖雨(ながあめ)止まず橋を落し人馬を流し田畑悉く水に浸かった。此の時、妙見滝の塚、庵共に流失した。此れを行者濤(とう)と恐れ翌秋彼岸、読経し滝の行場に石塔を置いた。」

捨身入定と伝えられていたのは、どうやら人身御供だったようだ。
あるいは不吉な宣託を広めたことによる懲罰的な処刑の意味合いがあったのかもしれない。
尚、天保の大飢饉は天保四年の洪水や冷害に端を発したといわれる。

2020.11.17




昭和残照伝杉沢新田


「もはや戦後ではない」と言われた時代の少しあと、杉沢新田の正蔵さんが死んだ。

杉沢新田は戦後の農地改革を期に農地の統合、再分配と新たな新田開発の合わさった複合新田だ。この地の稲荷神社の境内には令和の御代になるまで新田開発当時に建てられた古びた町内会館があった。会館は平屋づくりで、畳敷きの広間と小部屋があり、広間には100円テレビ(100円を入れると2時間のタイマーが働き、時間になると無慈悲に電源が切れる)が置かれ、長押には歴代の町内会長の肖像写真が掛けられていた。歴代会長の写真はすべて正装で、中には明治の元勲を思わせる厳しい顔で撮られたものもあった。ところが歴代を順に眺めて行くと第4代会長だけが抜け落ちている。その第4代目こそが正蔵さんだ。

正蔵さんは明治の御代に生をうけた地付きのものだ。青年期に都会の農学校に通った地域一番の知恵者として知られ、その博識は新田開発に際して土壌の改良や新田の区割りや地形を活かした水路の整備に至るまで遺憾なく発揮された。農家にとって水の確保は死活問題である。新田開発以前は地主や本百姓の我田引水は当然の権利であり、小作の貧農は水の利の悪い土地をあてがわれ、長年、否、代々にわたり辛酸をなめ続けたと言われる。小作の出だが知恵者の正蔵さんは、高低差のある地形の新田に平等に水が行き渡るよう、サイフォンの原理を応用した複雑な水路のカラクリを殆ど一人で考え出した。
それだけではない。地域のルール作りの草案も整えるなど八面六臂の活躍を見せた。
ルールとは台風や大雨の時の「我田防水」を固く禁じるルールだ。平たく言えば水が出た時に地域の田に平等に水を流し被害を分散させるルールで、水路に設けられた水門を操作して自分の田への水の流入を防ぎ、他人の田を流失、水没させることを固く禁じる鉄の掟のことだ。

昭和の御代になり30余年が経過し、「もはや戦後ではない」と言われた少しあと、正蔵さんが水路に流されて死んだ。そのころ全国的に甚大な被害を及ぼした台風に見舞われたことは今も知られている。台風の日、正蔵さんは「水路を見てくる」と家族に言い残し、それきり帰らなかった。水路の下流で息絶えた正蔵さんが見つかったのは水の引いた翌日のことだ。正蔵さんは自らの命を賭して地域の田を水害から守ろうとしたのだ。その自己犠牲の精神は大いに称賛され、地域の英雄として祭り上げられ、果ては胸像をつくって会館前に設置する決議が棄権者一人を除いた賛成多数で採択された。ところが、胸像が高岡の鋳物屋で完成をみて、更に御影石の台座が完成したころ都合の悪い事態が起こった。

台風の日、自己犠牲において地域の田を守ったとされる正蔵さんの行為が、やがて鉄の掟を破る行為であることが解ってきた。この地の地形や水路の複雑な水流を熟知する正蔵さんならではの企みが露呈したのである。この時の被害が主水路から遠く離れた元地主や元本百姓の所有する区画に集中していたことは偶然ではなかった。奇しくも正蔵さんは自らの命と引き換えに先祖代々積年の怨恨を晴らしたのである。


完成を見た胸像は会館の物置部屋の奥にしまいこまれ、長押の肖像写真は人知れず外された。しかし、正蔵さんを蔑むものはいなかった。
その後、令和の御代になり町内会館は取り壊され、物置部屋の奥で忘れられていた正蔵さんの胸像も古物商に引き取られて行った。
主のいない御影石の台座はいまでも稲荷神社の境内に残っている。



2021.1




Rhodes Pianoと夏のNightmare


夜中にインターホンが鳴った。誰だろうか・・・。
モニターを見ると知らない中年男が立っている。

「何かご用でしょうか?」
「学生時代に同じ学科だったSだよ。ちょっと会いたくなったのでね。」
「人違いでは?」
「いや、昔引っ越しを手伝ってくれたじゃないか。覚えていないかな?俺のRhodes Piano※を運んでくれたじゃない?」

※アナログのエレピ

そこまで言われてようやく思い出した。Sは学生の時分、同じ学科に在籍していたが、特に親しくもなかった人物だ。
だが、ある時、授業をさぼって通った昼の新宿PIT INNで鉢合わせになって以来、ある種の親近感を覚えていた。

そんなSと再会したのは20代後半、神保町の書店だった。ありきたりな挨拶をかわし、成り行から連れだって山の上ホテルのバーに向かった。
「学生の頃、このあたりのjazzbarで時々一緒になったな。最近は行かないの?」とSに聞いてみた。

「卒業してからは殆ど行かないな。今じゃカラオケバーにだって行くよ。」と、つまらなそうな顔でSは言った。
バーでは急ピッチでグラスを空けたが、Sも自分も忙しく窮屈な日常を送っており、話は然して盛り上がらなかった。

別れ際にSは「実は頼みごとがあるんだが・・・」と、切り出した。

「実は来週引っ越すんだけど、小さな引っ越し便に乗りきらない荷物があってね。それを手伝ってほしいんだ。」
「来週?・・・」
「そうか、そうだろな」そう言ってSはバーテンダーを呼んでカードを取り出した。
「わかった、いつ?」

クルマで杉並にあるSのアパートに着いたのは午後4時を少し回った頃だった。
部屋は荷物がすっかり片付いており、ただ一つ部屋の片隅にRhodes Pianoが鎮座していた。


「なにか弾いてみてよ」
「何がいい?」
Blue Monkかな?」
カーテンが取り払われた
西日の差し込む部屋でSはBlue Monkを弾いた。
奇妙な不協和音を交えたアドリブを2コーラス弾いたあと、「最近はあまり弾く時間がないんだ。」そう言って暫く鍵盤を見つめていた。


知ってのとおりRhodes Pianoは重い。耐火金庫のように重たい。

二人で大汗をかいて三階の部屋から細い階段を折り返して下りクルマに押し込み、それからSの新居のアパートの部屋へと運び入れた。
一通り作業が終わるとSは謝礼と書かれた茶封筒を渡してよこした。

「今日はありがとう。助かったよ。またいつか。」
「うん、またな。」 そして別れ際にクルマに積みっぱなしのCD「Thelonious Monk In Itaiy」を窓越しに手渡した。
「またな」といったが、もう会うこともないだろうと思った。Sもそう思ったに違いない。


Sを部屋に招き入れた。

「MonkのCDを返しに来たんだよ。」
CD?あげたはずだけど。で、そのために?」
「近くまで来たんでね。ポストにCDが入っていてもかえって気味悪いだろ?」
「でも、どうやってここが判ったの?」
「ネットでね。SNSは時に厄介なんだよ。」
そういってSは笑った。そしてバッグからCDを取り出すと、慌ただしくコーヒーを啜って帰っていった。
S
のうしろ姿が小さくなるのを見ながら釈然としない気持ちだけが残った。

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昨夜は悪夢を見た。酷い寝汗をかいてしまった。きっとエアコンをオフにして眠たせいだろう。
朝のコーヒーを飲みながら昨晩の夢のとりとめもないイメージを繋ぎ合わせてみた。
それから
卒業した学科の同窓会のページを開いてみた。学科のOBの作ったページは中半放置され更新が滞っていたが、どうやら掲示板は生きているようだ。
掲示板には卒業生や教員のその後や訃報などが書き込まれている。そこでSの名をみつけた。Sは7年前に没し、既にこの世の人でないことを知った。


久し振りにThelonious Monkを聴いてみた。
西日に照らされてRhodes Pianoを弾くSの顔が浮かんだ。



2020.8.18記




冬の旅


ある冬一人旅をした。

高速船で小島に着くと、波止場の案内所で「島内一周バスツアー」に申し込んだ。
ツアー開始まで半時間ほどあったので、ビール片手に島の小動物を追いかけまわして時間を潰すことにした。
ややしてバスに乗り込むが他の客は誰もいない。オフシーズンの平日、こんな小島を旅するものは余程の変わり者なのだろう。
結局、そのまま運転手とガイドが乗り込み、客が自分一人きりのバスは走り出した。

女性ガイドはこちらを見て「皆さま」という。「皆さま、左手に見えてまいりましたのは・・・」、「皆さま、こちらで10分間の休憩に・・・」
他に誰かがいるような気がして後ろの座席を振り返ったが、もちろん誰も居るはずがない。


高速船で島を出て対岸の街の宿に着いた。
宿はホテルとは名ばかりの商人宿で、館内は暗く、通された部屋は古びたリノリウムの廊下を左に曲がった先にあった。
部屋に入り西側の窓を開けると隣の料理店が出す油煙の臭気が立ち込め、ボイラーの重低音が響いていた。その向こうには錆びたアーケードが見える。

退屈なので部屋を出て、シャッターの目立つアーケードの中ほどにある古いバーに入ってみた。
バーはカウンターだけの小さな店で、四十がらみの女性が一人退屈そうに水割りを飲んでいた。
女性とひとつ空けて座り、安そうなカクテルを一杯に奢ってやり、頃合いを見て「店を変えて飲みなおそう」と小声誘ってみたが、ニベもなく断られた。
その即答ぶりに憎まれ口のひとつも返したいところだったが、バツが悪くなり早々に店をあとにした。
こんな時は口直しにもう一軒寄るに限る。憂さを晴らそうとあたりを歩き回ったが、埃をかぶったアーケードに興味を惹かれるものは何もない。
仕方なく途中の酒屋で
サントリーホワイトを買って宿に帰った。


宿の入り口で黒板に白文字で「歓迎〇〇様ご一行」と、自分の名前が書いてあるのが目に入った。
「一人のどこがご一行だというんだ!」
暗い廊下を曲がって部屋に戻ると隣の部屋のTVの音が容赦なく入り込んでくる。

「なにが欽ちゃんの仮装大賞じゃ、バカ野郎っ!」と、薄い壁を通して部屋に聞こえるか聞こえないくらいの声でいってみた。

となりの部屋からはTVの音が聴こえるばかりで何も返事はなく、内心ほっとした。

安酒がすすむと入口の「ご一行」が無性に気になり始めた。時計は11
時をとうに回っていたが、酔った足でフロントに向かいベルを押し、出てきた支配人に「あの、僕はご一行じゃないんだけど」と言ってみた。すると支配人は「ああ、もう片付けましたんで」と面倒くさそうに言い残し踵を返し行ってしまった。
支配人の素っ気ない態度に失望を覚えたが、諦めて部屋に戻り床につくことにした。


夜半に目が覚めると、バスルームに誰かがいる。半透明のドアを通して確かに人の気配がする。
歯ブラシやシェイバーを使う音がする。鼻歌さえ歌い出しそうな気配だ。

「やっぱり一人じゃなかったんだ」

安堵を覚えて再び眠りについた。



2018.10



晩秋の旅(短縮版)


立冬をとうに過ぎたある日の午後、クルマでひとり旅に出た。
昨今の事ではない。IT
革命前夜、携帯電話が虎屋の羊羹くらいの大きさだった頃の話だ。
昨今、自分探しの旅が流行っているが、自分を探してなんになる。
その日、二日酔いが癒えたころクルマを西に走らせた。

箱根を上り、芦ノ湖畔にクルマを停めると、桟橋に繋がれた無人の白鳥の足漕ぎボートが目に入った。
「あんなものに銭を払って乗る奴の顔が見たいもんだ。」そう言って足元の小石を白鳥ボートに向かって投げつけてみた。石は白鳥の横面に命中し、湖面に間抜けな音を響かせた。
再び足元の石を見繕っていたところ、ボート係の男がなにやら叫びながらこちらに向かって走ってくる。
慌ててクルマに飛び乗り湖畔を走り去った。


箱根を御殿場側に下り、乙女峠にさしかかった頃、眼下の街は既に疎らな灯りがともり始め、山の端が茜色と濃紺の混じった空に輪郭線を描いていた。
峠にある風車を模したレストラン「ムーラン乙女」の跡地にクルマを停めてショートホープを燻らしながら、契約したばかりの携帯電話で富士南麓の小さな街にその日の宿をとった。



「・・・ターミナルホテル?気味の悪い名前だ」
駅前ロータリーにクルマを停めて、あたりを見回すと、建物の隙間からライトに照らされたホテルの看板が見える。
フロントでチェックインを済ませ、アクリル棒の鍵で入った4階の部屋は予想外に狭く、細いベッドが無理矢理2つ並べられ、その脇に草臥れた布張りのソファが置かれている。
部屋の煙草で変色した壁と年季の入った黴臭さは一人旅の侘しさを殊更に増幅させた。

ソファに腰掛けデュワーズの小瓶を傾けるとスプリングの抜けたソファはどこまでも深く沈み込んだ。
それは碧のセノーテにゆっくり沈んでいくかのようだった。言うまでもないが、セノーテに沈んだことなどあるはずもなく、見たこともない。

沈むに従い目の前のものがコントラストの強いモノクロ映像になり、やがて光の届かない濃い鈍色になった。



どこからか芳香が漂ってくる。誰かが香を焚いているのだろう。伽羅(きゃら)か?麝香(じゃこう)だろうか?こんな安宿でいったい誰が高貴な香を焚いているのだろう?

あたりを見回すとベッドの脇に小さな鹿がいる。きっと麝香鹿に違いない。小さな鹿は歩き出すと聳えるほど高いお堂に入っていく。
黒瓦の斜めに敷かれた堂内の正面には壇が築かれ、巨大な涅槃図が掛かっている。そして、そこだけ柔らかな金色(こんじき)の光で覆われている。

やがて鹿は涅槃図の白象の脇に居場所をみつけ絵の中に消えた。涅槃図の釈尊は金粉を高く巻き上げ、あたりは麝香の甘い芳香で満ちている。
光を見つめていると身体に浮遊感を感じ、頭の先から徐々に歓喜に満ちて行くのがわかった。自分も光に方向へ行こうとしたが結界が引かれ叶わない。
やがて浮遊感と歓喜は徐々に消えていき、足元の黒瓦から強い冷気が伝わってきた。

寒気を感じ我にかえると冷え切った部屋で羊羹のような携帯電話を握りしめソファに深くもたれていた。
「奇妙な夢だったな」そう独り呟いてベッドに入る刹那、鼻腔に麝香を感じた。
今でも安宿のくたびれたソファに座わると記憶が蘇る。そして薫習された麝香が微かに薫る。







2019.2.27





野毛よこはま


野毛で痛飲した。
3軒目、酔いに任せて怪しげなバーの扉を押した。
紫色のアクリル板の向こうに白熱灯がぼやけて見えた。扉には白文字でcrackpotと書いてあったように思う。
カウンターに肘をついて貧乏ゆすりをしていると、「いらっしゃい、外は寒いですか?注文がお決まりならすぐに用意します。」と、初老のマスターが言う。

「飲んできたから水割りを薄めに作ってくれますか?」
「デュワーズ、氷は入れなくていいですね?」
「一見なのになんで好みが解るんですか?」
「顔に書いてあるからです。」
「へえ、どこかのホテルのドアマンみたいですね。」



酒はすぐに出てきた。ナッツをつまみながら薄いデュワーズを2分で飲み干すと右隣の男が話しかけてきた。
煙草の臭いの染みたグレイのツイードを着た70代と思しき白髪の老紳士だ。老紳士は横須賀の生まれで、父親は海軍の将校だったそうだ。
本人は元商業デザイナーで「チョコレートやキャラメルなどのパッケージデザインなんかをやってたんだ。きっと、あなたも見たことあると思うよ」と、いう。
それからはバブル期の羽振りのよい話をひとしきり聞かされた。しかし、そんな栄光の日々も遠い昔となり、今は仕事から身を引き、ひとり野毛の丘の上のアパートにいるらしい。

そんな身の上話とも自慢話ともつかぬ冗長な話を生返事で聴きつつも、左隣にいる仕事あがりと思しき中年女性の蛾のように派手な化粧に気を奪われていた。


その時、老紳士が奇妙なことを口にした。
「父親は自分が生まれてすぐにレイテ沖で戦死して一面識もない。が、今も時々会っている。」

父親は異国の話をしてくれる。巡洋艦のWatchで波間に人魚をみた話。それから、南洋の島で森の精霊に謁見する話など、いつも楽しそうに話してくれる。
人魚は上半身が西洋人の女性で下半身が魚、精霊は人や獣の霊が昇華したものではなく、次元のまったく異なる存在らしい。
楽しい話ばかりではない。凄惨な話もあった。戦友や自分の体が一瞬にして消えてなくなったことも詳細に話してくれた。

そのうちに歳を取らない父親はいつしか自分より年下になってしまった。老紳士は若造の父親に会うたびにハラハラと落涙するようになった。

どうやら異界と繋がるすべを持っているらしい。
しかし、このバーでそんな酔狂な話をまともに聞く人間は誰もいないのだろう。
老紳士の話は止むことがなかったが、時計をみると午前2時を回っていた。

「面白かったけど役に立たない話ですね。じゃ、帰ります。」
「鎌倉だろ?近いんだからもう少しいいじゃないか?」
「近くないでしょ?それに何時だと思っているんですか?もうとっくに終電終わってる時間だし・・・」
デュワーズの後、シングルモルトをしたたか飲んだが、勘定はすべて右隣に払ってもらった。
店を出てすぐにタクシーを拾った。一緒に店を出た老紳士は運転手に「鎌倉までね。これで足りなかったら連絡して」と、数枚の札と小さなメモを渡していた。


走り出してすぐに運転手が言った。

「鎌倉はどちらまで?お代は先ほど貰ったから大丈夫です。」と。
「じゃ、そのメモは貰っときますよ」そういって運転手からメモを受け取った。手渡されたメモをポケットに押し込むと、ほどなく深い眠りに落ちた。

酷い頭痛で目が覚めると時計は午前11時を回っていた。自宅に着いた記憶も、ベッドに入った記憶もない。
少しおいて微かな記憶を頼りにポケットを探ると二つ折りの小さなメモが出てきた。乱雑に書かれた番号は仕事でもらった別人のものだった。
すべては夢の中の出来事だったのかもしれない。




2018.1.18記


山徑を行くはなし

夕暮れの山みちを一人歩いて行く。
陽はまもなく稜線に沈む。先を急ぐことにした。
やがて視界がひらけ眼下に街の灯が見えてきた。

立ち止まり煙草を燻らせると視界が潤み、滲み、眼下の街は色と輪郭を失い、まだ明るさの残る薄闇に溶けていった。



軽い頭痛を覚えた。心なしか節々が痛む。
「そうだ今、山みちを行く夢を見ていたんだ」
否、そうではない。山みちを行く道すがらにむしったムカゴがポケットにある。

「夢ではなかったのか?」
「否、全てが夢の中なんだ」

短くなった煙草を揉み消し、すっかり暮れてしまった山みちをひとり引き返した。


2019.10.4