酩酊日乗

かつて現実と虚構は相反するものと思っていた


聞き書き 林嶽寺文書

これはある酒場で出会った自称郷土史家が語った話の聞き書きである。
郷土史家の話は長時間に及んだがその細部は失念した。だが、記憶の彼方に消える前に覚えている限りをここに記しておきたい。
尚、これが与太話であるか真実であるかは知らない。すべては読者の判断に委ねることとなる。


木曽山脈の東南に降った天水は段丘に深い田切をつくって天竜川に注いでいる。田切にはいく筋かの滝が流れ落ち、かつては修験者の行場となっていた。
その一つ妙見滝の近くに「字行者塚」という地名がある。しかし、現在周辺に行者塚らしきものはどこにも見当たらない。

妙見滝の近くのやや開けた川辺に地元教育委員会の立てた消えかけた立札と小さな五輪塔が置かれている。
「江戸時代後期の天保年間、上之坊と名乗る修験者がこの地で草庵を結んだ。上之坊は衆生済度の誓願を立て自ら土中に埋まりここに捨身入定した。入定塚はのちの洪水で流されて今はないが「行者塚」の地名を残すに至った。平成十二年九月〇〇町教育委員会」

この地の言い伝えによれば、上之坊は擦れた衣に錫杖姿でどこからともなくやって来た修験の行者で、卜占や加持祈祷で信奉者を集めていたらしい。素性のよく解らぬ人物だが、昭和の滅私奉公の時代に至っては、地元の尋常小学校の修身で郷土の偉人として取り上げることもあったという。
ところが近年になり、近くの林嶽寺で奇妙な文書が見つかった。文書は寺誌と住持の私記で、寺誌は何故か人名と思しき箇所が墨で消されているが、読み下すと大意はおよそ次の通りとなる。

「干ばつによる飢饉の宣託を下し、爾来行方知れずの妙見滝の行者が天保三壬辰閏十一月、三里離れた宿場で役人に捕らえられ、行場へ連れ戻された。行場で請雨の法を執り行い、のち縛り滝に沈め直ちに亡骸を傍らに埋め塚を築き土中入定として秘匿した。翌天保四癸巳九月、霖雨
止まず橋を落し人馬を流し田畑悉く水に浸かった。此の時、妙見滝の塚、庵共に流失した。此れを行者濤.と言うものあり。翌秋彼岸、読経し滝の行場に石塔を置いた。」
※1.霖雨=ながあめ
※2.濤(とう=おおなみの意)

更に私記には上之坊の出自や当地での様子が記されていた。
私記によれば上之坊は無位のもので、熊野を出て諸国を廻ったのち、遠州より秋葉道を経てこの地に流れ着いたという。行者は自らが不吉な宣託を下し、衆生済度の誓願をたて、加持祈祷の法を行い信奉者から金子や貢物を得ていたと記されている。そこには住持の流れ者への蔑みが伺われるが、それを差し引いても上之坊の所業が読み取れる。つまりは不吉な宣託、済度のマッチポンプ、昨今の言葉でいうならば自演乙といったところか?おそらくは諸国を流れては同じような所業を重ねていたに違いない。
しかし、決して豊とは言えないこの土地において、信奉者を集め金品を得ていたことから鑑み、相応な法力は備えていたとものと思われる。
どうやら上之坊の捨身入定は懲罰的な処刑、あるいは人身御供だったようだ。奇しくも自ら下した不吉な宣託が自らの身をも滅ぼした格好となる。

尚、甚大な被害を及ぼした天保の大飢饉は、上之坊が滝に沈んだ翌天保四癸巳の洪水や冷害に端を発したといわれる。
この時この地を襲った洪水が一之坊の請雨法に起因した”行者濤”であったのか、或いは偶然の自然災害であったのかは今となっては知る術がない。


2020.11.17


※伊那谷の景観を見て即興で短時間に書いた作り話です。つまり郷土史家も聞き手も同一人物の自演乙です。
「行者濤」は江戸時代の妙心寺の関山派と黄檗派のいざこざで起こった逸話「関山濤」からとった造語、人名、寺名、地名などはすべて架空のものです。





Rhodes Piano
Nightmare


夜、インターホンが鳴った。誰だろうか・・・。

モニターを見ると知らない中年男が立っている。

「なにかご用でしょうか?」
「学生時代に同じ学科だったSだよ。ちょっと会いたくなったのでね。」
「人違いでは?」
「いや、昔引っ越しを手伝ってもらったんだけど、覚えていないかな?Rhodes Piano運ぶのを手伝ってくれたじゃない。」

※Rhodes Piano=ローズピアノ、アナログのエレクトリックピアノ


そこまで聞いてようやく思い出した。Sは学生時代に同じ学科に在籍していた人物だが、特に親しく付き合っていた訳ではなかった。
しかし、ある時、新宿PIT INN昼の部で鉢合わせになったことがあり、音楽好きとしてある種の親近感を覚えていた。
※新宿にあるライブハウス。昼の部はマニアックな音楽ファンが集まる事で知られる。

卒業後そんなSと再会したのは20代後半、神保町の書店だった。ありきたりな挨拶をかわし、成り行から連れだって山の上ホテルのバーへ向かった。
「学生の頃、このあたりのジャズバーやPIT INNで一緒になったことがあったな。最近は行かないの?」と、Sに聞いてみた。

「卒業してからは殆ど行ってないな。今じゃカラオケバーにだって行くよ。」と、つまらなそうな顔で答えた。
バーでは急ピッチでグラスを空けたが、共に忙しく窮屈な日常を送っており、話は然して盛り上がらなかった。

別れ際にSは「実は頼みごとがあるんだが・・・」と、切り出した。

「来週引っ越すんだけど、小さな引っ越し便に乗りきらない荷物があってね。ちょっと手を貸してほしいんだ。」
「来週?・・・」
「そうか、そうだろな」そう言ってSはバーテンダーを呼んでカードを取り出した。
「わかった、いつ?」

クルマで杉並にあるSのアパートに着いたのは午後4時を少し回った頃だった。
部屋はすっかり片付いており、ただ一つ部屋の片隅にRhodes Pianoが鎮座していた。


Rhodes Piano!懐かしいな。なにか弾いてみてよ。」
「何がいい?」
Blue Monkかな。」

カーテンが取り払われた
西日の差し込む部屋でSはBlue Monkを弾いた。
奇妙な不協和音を交えたアドリブを2コーラス弾いたあと、「最近はあまり弾く時間がないんだ。」そう言って窓の外に目をやった


知ってのとおりRhodes Pianoは重い。耐火金庫のように重たい。

二人で大汗をかいて三階の部屋から細い階段を折り返して下りクルマに押し込み、新居のアパートの部屋へと運び入れた。
一通り作業が終わると二人してぬるくなった缶コーヒーを飲んだ。それからSは謝礼と書かれた茶封筒を渡してよこした。

「今日はありがとう。助かったよ。またいつか。」
「うん、またな。」 そして別れ際に茶封筒のお返しのつもりでクルマに積みっぱなしのCD「Thelonious Monk In Italy」を窓越しにSに手渡した。
「またな」といったが、もう会うこともないだろうと思った。Sもそう思ったに違いない。


Sを部屋に招き入れた。

「MonkのCDを返しに来たんだよ。」
CD?あげたはずだけど。で、そのために?」
「近くまで来たんでね。ポストにCDが入っていてもかえって気味が悪いだろ?」
「でも、どうやってここが判ったの?」
「ネットで。SNSは時に厄介なんだよ。」

そういってSは笑った。そしてバッグからCDを取り出すと、慌ただしくコーヒーを啜って帰っていった。
Sのうしろ姿が小さくなるのを見ながら釈然としない気持ちだけが残った。

        
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昨夜は悪夢を見た。きっとエアコンを止めて寝てしまったためだろう。
朝のコーヒーを飲みながら昨夜のとりとめのない夢のイメージを繋ぎ合わせてみた。
それから
卒業した学科の同窓会のページを開いてみた。それはOBの作ったページで中半放置され更新が滞っていたが掲示板だけは生きているようだった。
掲示板には卒業生や教員のその後の情報、訃報などが書き込まれている。そこでSの名をみつけた。Sは7年前に没し、既にこの世の人でないことを知った。
ふと、テーブルに視線を移したが、そこにMonkのCDがあろうはずもなかった。

久し振りにBlue Monkを聴いてみた。
西日に照らされてRhodes Piano弾くSの顔が浮かんだ。



2020.8.18記
※青春の儚さと学生時代の音楽好きの友人の死。そんなことに色々思いを巡らせて即興で書きました。

尚、Blue Monk「Thelonious Monk In Italy」に収録されていませんし、Thelonious”The Great”Rhodes Pianoを弾いたりしません。




冬の旅


ある冬一人旅をした。
高速船で瀬戸内海の小島に着くと、波止場の案内所で「島内一周バスツアー」に申し込んだ。
ツアー開始まで半時間ほどあったので、ビール片手に島の小動物を追いかけまわして時間を潰すことにした。
ややしてバスに乗り込むが他の客は誰も乗ってこない。オフシーズンの平日、こんな小島を旅するものは余程の変わり者なのだろう。
結局、そのまま運転手とガイドが乗り込み、客が自分一人きりのバスは走り出した。

女性ガイドはこちらを見て「皆さま」という。「皆さま、左手に見えてまいりましたのは・・・」、「皆さま、こちらで10分間の休憩に・・・」
他に誰かがいるような気がして後ろの座席を度々振り返ったが、もちろん誰も居るはずがない。

島を出て対岸の街の宿に着いた。
宿はホテルとは名ばかりの商人宿で、館内は暗く、通された部屋は古びたリノリウムの廊下を左に曲がった先にあった。
部屋に入り西側の窓を開けると隣の料理店が出す油煙の臭気が立ち込めボイラーの重低音が響いていた。そして、その向こうには錆びたアーケードが見える。

退屈なので部屋を出て、シャッターの目立つアーケードにある古いバーに入ってみた。バーはカウンターだけの小さな店でBGMにMJQが流れている。
先客は一人きりで、四十がらみの女性が一人退屈そうに水割りを飲んでいた。女性とひとつ空けて座り、安そうなカクテルを一杯に奢ってやり、頃合いを見て「店を変えて飲みなおそう」と小声誘ってみたがニベもなく断られた。バツが悪くなり早々に店を出たが、シャッターだらけの埃をかぶったアーケードに憂さを晴らせるものは何もない。
仕方なく古びた酒屋で
サントリーホワイトを買って辺りをふらつきながら宿に戻った。

宿の入り口で黒板に白文字で「歓迎〇〇様ご一行」と、自分の名前が書いてあるのが目に入った。「一人のどこがご一行だというんだ!」そう呟いて部屋に戻ると隣の部屋のTVの音が容赦なく入り込んでくる。「なにが欽ちゃんの仮装大賞じゃ、バカ野郎っ!」と、薄い壁を通して隣の部屋に聞こえるか聞こえないくらいの声でいってみた。

安酒がすすむと入口の「ご一行」が無性に気になり始めた。
時計は11
時をとうに回っていたが、酔った足でフロントに向かい、出てきた支配人に「あの、僕はご一行じゃないんだけど」と言ってみた。
すると支配人は「ああ、もう片付けましたんで」と、面倒くさそうに言い残し踵を返し行ってしまった。支配人の素っ気ない態度に失望を覚えたが、諦めて部屋に戻り床につくことにした。


夜半に目が覚めると、バスルームに誰かがいる。半透明の薄いドアを通して確かに人の気配がする。

「同行二人か?」

そう呟くと安堵を覚えた。そして再び眠りについた。


2018.10

※小豆島での出来事や、うらぶれたビジネスホテルの思い出などを散りばめた作り話です。
「バスルームに誰かいる」はかつてスペイン・グラナダの安ホテルであった実話。一体何だったのだろう?と、今でも思ったりします。

尚、一人でも一行。最近、二枚目俳優の古谷一行さんがお亡くなりになりました。とても素晴らしい役者さんで、「金田一シリーズ」、「露天風呂シリーズ」など、数々の一般大衆向け娯楽作を残されました。謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。2022.11




晩秋の旅(短縮版)


立冬をとうに過ぎたある日の午後、クルマでひとり旅に出た。
昨今の事ではない。IT
革命前夜、携帯電話が虎屋の羊羹くらいの大きさだった頃の話だ。
その日、二日酔いが癒え、陽が西に傾きはじめたころ、無目的にクルマを西に走らせた。

箱根を上り、芦ノ湖畔にクルマを停めると桟橋に繋がれた白鳥の足漕ぎボートが目に入った。
「あんなものに銭を払って乗る奴の顔が見たいもんだ。」そう言って足元の小石を白鳥ボートに向かって投げつけてみた。
石は白鳥の横面に命中し湖面に間抜けな音を響かせた。再び足元の石を見繕っていたところ、ボート係の男がなにやら叫びながらこちらに走って来るのが見えた。

慌ててクルマを走らせ、あたりを無暗に彷徨ったのち箱根を御殿場に下ることにした。
晩秋の陽は短い。乙女峠にさしかかった頃、眼下の街は既に疎らな灯りがともり始め、山の端が茜色と濃紺の空に輪郭線を描いていた。峠にある風車を模したレストラン「ムーラン乙女」の跡地にクルマを停めショートホープを燻らしながら、契約したばかりの携帯電話で富士山麓の小さな街にその日の宿をとった。



「〇〇ターミナルホテル?気味の悪い名前だ」
駅前ロータリーにクルマを停めて、あたりを見回すと、建物の隙間からライトに照らされたホテルの看板が見える。
フロントでチェックインを済ませ、アクリル棒の鍵で入った4階の部屋は予想外に狭く、細いベッドが無理矢理2つ並べられ、その脇には草臥れた布張りのソファが置かれていた。そして、煙草で変色した壁と年季の入った絨毯の黴臭さは晩秋の一人旅の侘しさを殊更に増幅させた。

ソファに深く座りデュワーズの小瓶を傾けた。するとスプリングの抜けたソファはどこまでも深く沈みこんでいく。それはまるで碧のセノーテにゆっくり沈んでいくかのようだった。言うまでもないが、セノーテに沈んだことなどあるはずもなく見たこともない。しかし、それは葉山の海でもダイビングプールでもない、確かに碧のセノーテに沈んでいく感覚だ。
沈むに従い目の前の映像がモノクロになり、やがて光の届かない濃い鈍色になった。



どこからか芳香が漂ってくる。誰かが香を焚いているのだろう。伽羅(きゃら)か?麝香(じゃこう)だろうか?こんな安宿でいったい誰が高貴な香を焚いているのだろう?

あたりを見回すとベッドの脇に小さな鹿がいる。きっと麝香鹿に違いない。鹿は芳香を振りまきながら歩き出すと塔のように高い仏式のお堂に入っていく。
黒瓦が斜めに敷かれた堂内の正面には壇が築かれ、巨大な涅槃図が掛かっている。そして、そこだけ柔らかな金色(こんじき)の光で覆われている。

やがて鹿は涅槃図の白象の脇に居場所をみつけ絵の中に消えた。涅槃図の釈尊は金粉を高く巻き上げ、あたりは麝香の甘い芳香で満ちている。
金色の光を見つめていると、徐々に歓喜に満ちていくのが解った。やがて意識が上昇しはじめ、梁の上から涅槃図を見おろす視線になった。耳を澄ますと香の燻される音や、釈尊の巻き上げる金粉の擦れあう音まで聴こえる。
暫くその状態が続いたが、やがて身体を包んだ歓喜と浮遊感は徐々に消え、足元の黒瓦から強い冷気が伝わってきた。

寒気を感じ我にかえると冷え切った部屋で羊羹のような携帯電話を握りしめソファに深くもたれていた。
「妙にリアルな夢だ」そう独り呟いてベッドに入る刹那、鼻腔に麝香を感じた。
今でも安宿のくたびれたソファに座わると、この奇妙な出来事が蘇る。そして意識の深層に薫習された麝香が微かに薫る。



2019.2.27
※かつて存在したホテルのイメージや、夢の話を繋ぎ合わせた作り話です。
いまでも古い思い出と香りがリンクして実際に鼻腔に感じたり、映像となって蘇ったりします。
梁の上から仏を眺めるシーンは実際に奈良の大仏を梁の上から眺めた壮観な夢から。2022.10




野毛よこはま


野毛で痛飲した。
3軒目、酔いに任せて怪しげなバーの扉を押した。
紫色のアクリル板の向こうに白熱灯がぼやけて見えた。扉には白文字でcrackpot」と書いてあったように記憶している。
カウンターに肘をついて貧乏ゆすりをしていると、「いらっしゃい、外は寒かったですか?注文がお決まりならすぐにご用意します。」と、初老のマスターが言う。

「ちょっと飲んできたから水割りを薄めに作ってもらえますか?」
「デュワーズ、氷は入れなくていいですね?」
「一見なのになんで好みが解るんですか?」
「顔に書いてあるからです。」
「へえ、どこかのホテルのドアマンみたいですね。」


酒はすぐに出てきた。ナッツをつまみながら薄いデュワーズを2分で飲み干すと右隣の男が話しかけてきた。
煙草の臭いの染みたグレイのツイードを着た70代と思しき白髪の老紳士だ。きっと壁のシミのようにいつもこの席にいるのだろう。
老紳士は父親が帝国海軍の将校だった関係で横須賀に生まれたそうだ。そして、自分はもともと商業デザイナーで「チョコレートなんかのパッケージデザインなんかをやってたんだ。きっと、あなたも見たことあると思うよ。」と、いう。それからお決まりのバブル期の羽振りのよい話をひとしきり聞かされた。しかし、そんな栄光の日々も遠い昔となり、今は仕事から身を引き、ひとり野毛の丘の上のアパートにいるらしい。
そんな身の上話とも自慢話ともつかぬ問わず語りを生返事で聴きつつも、左隣にいる仕事あがりと思しき中年女性の蛾のような化粧に気を奪われていた。


その時、老紳士が奇妙なことを口にした。
「父親は自分が生まれてすぐにレイテ沖で戦死して一面識もない。が、今も時々会っている。」

父親は異国の話をしてくれる。巡洋艦のWatchで波間に人魚をみた話。それから、南洋の島で森の精霊に謁見する話など、いつも楽しそうに話してくれる。
因みに人魚は上半身が西洋人の女性で下半身が魚、精霊は人や獣の霊が昇華したものではなく、次元のまったく異なる存在らしい。
楽しい話ばかりではない。凄惨な話もあった。戦友や自分の体が一瞬にして消えてなくなったことも克明に話してくれた。

そのうちに歳を取らない父親はいつしか自分より年下になってしまった。老紳士は若造の父親に会うたびにハラハラと落涙するようになった。

どうやら異界と繋がるすべを持っているらしい。

しかし、このバーでそんな酔狂な話をまともに聞く人間は誰もいないのだろう。
老紳士の話は止むことがなかったが、時計をみると午前1時を回っていた。

「面白かったけど役に立たない話ですね。じゃ、帰ります。」
「弘明寺だろ?近いんだからもう少しいいじゃないか?」
「近くないでしょ?それに何時だと思っているんですか?もうとっくに終電終わってる時間だし・・・」
デュワーズの後、シングルモルトをしたたか飲んだが、勘定はすべて右隣に払ってもらった。
店を出てすぐにタクシーを拾った。一緒に店を出た老紳士は運転手に「弘明寺までね。これで足りなかったら連絡して」と、数枚の札と小さなメモを渡していた。


走り出してすぐに運転手が言った。

「お代は先ほど頂いたから大丈夫です。」と。
「じゃ、そのメモは貰っときますよ。」
そう言って運転手からメモを受け取った。渡されたメモをポケットに押し込むと、ほどなく深い眠りに落ちた。


酷い頭痛で目が覚めると時計は午前11時を回っていた。自宅に着いた記憶も、ベッドに入った記憶もない。
少しおいて微かな記憶を頼りにポケットを探ると二つ折りの小さなメモが出てきた。乱雑に書かれた番号は別人のものだった。
すべては夢の中の出来事だったのかもしれない。


2018.1.18記

※横浜辺りの深夜の酒場にいそうな変な人のイメージで書いた作り話です。2022.10




山徑を行くはなし

夕暮れの山みちを一人歩いて行く。
陽はまもなく稜線に沈む。先を急ぐことにした。
やがて視界がひらけ眼下に街の灯が見えてきた。

立ち止まり煙草を燻らせると視界が潤み、滲み、眼下の街は色と輪郭を失い、まだ明るさの残る薄闇に溶けていった。



軽い頭痛を覚えた。心なしか節々が痛む。
「そうだ今、山みちを行く夢を見ていたんだ」
否、そうではない。山みちを行く道すがらにむしったムカゴがポケットにある。
「夢ではなかったのか?」
「否、全てが夢の中なんだ」
短くなった煙草を揉み消し、すっかり暮れてしまった山みちをひとり引き返した。


2019.10.4
何かを暗示した話ではなく深読み無用の与太話です。




昭和残照伝杉沢新田

「もはや戦後ではない」と言われた時代の少しあと、杉沢新田の正蔵さんが死んだ。
杉沢新田は戦後の農地改革を期に農地の統合、再分配と新たな新田開発の合わさった複合新田だ。この地の稲荷神社の境内には令和の御代になるまで新田開発当時に建てられた古びた町内会館があった。会館は平屋づくりで、畳敷きの広間と小部屋があり、広間には100円テレビ(100円を入れると2時間のタイマーが働き、時間になると無慈悲に電源が切れる)が置かれ、長押には歴代の町内会長の肖像写真が掛けられていた。歴代会長の写真はすべて正装で、中には明治の元勲を思わせる厳しい顔で撮られたものもあった。ところが歴代を順に眺めて行くと第3代会長だけが抜け落ちている。その第3代目こそが正蔵さんだ。

正蔵さんは明治の御代に生をうけた地付きのものだ。青年期に都会の農学校に通った地域一番の知恵者として知られ、その博識は新田開発に際して土壌の改良や新田の区割り、地形を活かした水路の整備に至るまで遺憾なく発揮された。農家にとって水の確保は死活問題である。新田開発以前は富裕な地主の我田引水は当然の権利であり、水の利の悪い土地をあてがわれていた貧農は、長年、否、代々にわたり辛酸をなめ続けたと言われる。小作の出だが知恵者の正蔵さんは、高低差のある地形の新田に平等に水が行き渡るようサイフォンの原理を応用した複雑な水路のカラクリを殆ど一人で考え出した。
それだけではない。地域のルール作りの草案も整えるなど八面六臂の活躍を見せた。ルールとは台風や大雨の時の「我田防水」を固く禁じるルールだ。平たく言えば水が出た時に地域の田に平等に水を流し被害を分散させるルールで、水路に設けられた水門を操作して自分の田への水の流入を防ぎ、他人の田を流失、水没させることを固く禁じる鉄の掟のことだ。
昭和の御代になり30余年が経過し、「もはや戦後ではない」と言われた少しあと、正蔵さんが水路に流されて死んだ。そのころ全国的に甚大な被害を及ぼした台風に見舞われたことは今も知られている。台風の日、正蔵さんは「水路を見てくる」と家族に言い残し、それきり帰らなかった。水路の下流で息絶えた正蔵さんが見つかったのは水の引いた翌日のことだ。正蔵さんは自らの命を賭して地域の田を水害から守ろうとしたのだ。その自己犠牲の精神は大いに称賛され、地域の英雄として祭り上げられ、果ては胸像をつくって会館前に設置する決議が棄権者一人を除いた賛成多数で採択された。ところが、胸像が高岡の鋳物屋で完成をみて、更に御影石の台座が完成出来上がった頃、都合の悪い事態が起こった。

台風の日、自己犠牲において地域の田を守ったとされる正蔵さんの行為が、やがて鉄の掟を破る行為であることが徐々に解ってきた。地元民の証言から正蔵さんによって操作されたと思われる水門を綿密に検証した結果、意図的に一部の地域を水浸しにする企てがあったことが露呈したのである。それは、この地の地形や水路の複雑な水流を熟知する正蔵さんならではの企てだった。この時の被害が主水路から遠く離れた元地主の所有する区画周辺に集中していたことは偶然ではなかったのである。
奇しくも正蔵さんは自らの命と引き換えに先祖代々積年の怨恨を晴らしたのである。
 完成を見た胸像は会館の物置部屋の奥にしまいこまれ、長押の肖像写真は人知れず外された。しかし、正蔵さんを蔑むものは殆どいなかった。否、表向きで嘲笑って見せても本心では歓声を上げ、留飲を下げた者もいたことであろう。

その後、令和の御代になり町内会館は取り壊され、物置部屋の奥で忘れられていた正蔵さんの胸像も古物商に引き取られて行った。

主のいない御影石の台座はいまで稲荷神社の境内に残っている。

2021.1
※台風で不幸にして用水路に流される人々の裏にも、それぞれ長大なストーリーやのっぴならない事情があります。
そんな事情を正蔵さんの名を借りて書いた作り話です。2022.10